カテゴリ:旅行 [インド]( 11 )

デリー、アーグラ、ジャイプール、と、北インドの代表的な3都市の観光を終えたわけですが、ジャイプールからデリーに戻る前に、どうしても、もう一箇所泊まりたい場所があったのです☆

ジャイプールの町から40キロほど北に行ったところにある、
サモード・パレス (Samode Palace)という宮殿ホテルです。
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もともと16世紀に建てられたラージプートの砦があった場所に、この地の “nobleman” (貴族ですかね?) が19世紀初期にこの宮殿を建設したんだそうです。

最初の建物を入ると、すぐに中庭があって、そして階段を上がって、次の建物に入ると、また中庭があって。。。と、いくつもの中庭と建物が続いた構造になっています。
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こちらは私たちの泊まった部屋。
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ステキでしょ~。

小さなバルコニーもついていて、そこからの景色も美しい。
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とっても素敵なプールもあって、小鳥のさえずりを聞きながらプールでのんびりしてると、これまでのインドの町の喧騒が嘘のよう。
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ランチには、レストランのテラスで、軽くサモサとタンドーリチキンをつまみました。 なんてことないランチですが、緑に囲まれた宮殿のテラスでいただくランチは格別です☆
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ホテル内をうろうろしていたら、ホテルの従業員の人が、おいでおいでと合図をするので、ついていってみると。。。

ゴージャスな宮殿内を案内してくれました。
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もちろん、案内してくれた従業員のおじさんはチップ目当て。 適当かなと思うチップをあげたときに、おじさんちょっと不満げな顔だったのですが、インドではとりあえず不満げな顔をしてみるというのがお決まりのようなので、まあ気にしない気にしない。



さて、このサモードパレスは、サモードという山間の村にあります。

宮殿ホテルの中でのんびりリラックスも良いのですが、村も散策してみよう!ということで、サモードの村で生まれ育った青年に案内をしてもらいました。
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石畳の道に古い建物も残っていて、なかなか風情があります。
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八百屋さん
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金物屋さん
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鍛冶屋さん
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インドの他の町同様、ここサモードでも、やっぱり牛や山羊などの動物が勝手に道をうろついているのですが、サモードで一番よく見かける動物が、コイツ。
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これってイノシシ? それとも野豚(ワイルドピッグ)っていうヤツ?
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赤ちゃん野豚もあちこちにいて「可愛い~!」なんて言って、野豚を見るたびに立ち止まって写真を撮っていると、ガイドさんは、そんな私を待たずに、スタスタと先へ歩いていってしまうんですよ。

夫から後で聞いた話なんですが、私が近寄って写真を撮ってるのを見たガイドさんは「豚は不浄な動物だから最下層のカースト以外の人は食べないし、近寄ることもしない。間違って豚に接触しようものなら、家に入る前に来ていた洋服を脱ぐ。」って夫に説明してたらしい。。。

なるほど、野豚を見て嬉しそうに写真撮ってると、なんか「見て見ぬふり」みたいな雰囲気を感じたのはそういうわけだったのかも。。。

さて、ひと通り村を案内してもらって、サモードパレスへの敷地内へ入る大きなゲートをくぐったところで、なんともミステリアスに絶妙のタイミングでバイクに乗って現れたのが、ガイドをしてくれた青年のお兄さん。

バイクに乗ったお兄さんは、大きなファイルを2つ、弟に手渡します。

何が入ってるのかと思ったら、インドの細密画の数々。 このガイドの青年の家族はアーティストで、家族の描いた細密画を買ってほしいんだそう。

別に買わなくてもいいんだけど、そんなに高いものでもないし、キャッシュも少し余っていたので、1枚買ってあげることに。

なんとなく、ラジャスタンぽいのが欲しくて、これを選びました。
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ちょっとユーモラスで気に入ってます☆


さて、楽しかったインド旅行もこれでおしまい。

サモードパレスに泊まった翌日は、デリー空港まで約250キロの距離を6時間以上かけて移動。 いやあ~、すごい交通渋滞でした。 ハイウェイを高架にする工事が行われているんですが、いったいどうやったらこんなカオスを作り出すことが出来るのかって感心してしまうぐらいスゴイです。 

最後の最後にしっかりまた混沌としたインドを思い知らされることとなりました。 ホント、摩訶不思議な国だわ、インドって。
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前回のブログで、ジャイプールの町は、この地のマハラジャのジャイ・シン2世が建設した町だと紹介しました。

ジャイ・シン2世が1727年にジャイプールに遷都するまで、この王家の都があったのが、ジャイプールの町から北に11キロほどのところにある、アンベール城。
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ちなみに、このアンベール城は、英語だと Amber Fort と記載されるので、てっきりアンバーフォートと発音すると思ってたのですが(実際、私たちに着いてくれたインド人のガイドさんもアンバーフォートと発音してたと思う)、日本語ではアンベール城と呼ばれているようなので、ここではアンベール城と記載することにしました。

このアンベール城があるアメール (Amer) という村には10世紀後半ごろから人が住んでいたようですが、11世紀に入ると、カチワーハ家がこの地を支配するようになり、この地にアンベール王国を樹立します。

この時代、インド北西部では、ラージプートと呼ばれる支配者層のカーストの諸族(ヒンドゥー系)がいくつもの王国を設立していました。(これらラージプートが築いた国の王様のことをマハラジャと呼びます。) アンベール王国を樹立したカチワーハ家は、このラージプートの一族です。

16世紀にイスラム系のムガル帝国が北インドに樹立されると、アンベール王国はヒンドゥー系ではありますが、ムガル帝国のアクバル皇帝と血縁関係を結んだり(以前ブログに書いたアクバル皇帝のヒンドゥーの妻というのが、このアンベール王国の皇女です)、ムガル帝国のために戦ったりして、ムガル帝国と良好な関係を結びます。

そして、アンベール王国のマン・シン1世(マン・シン1世は、ムガル帝国アクバル皇帝の軍司令官でもありました)は、もともとあった砦を改築して、1592年に、アンベール城を建設。 その後、ジャイ・シン2世がジャイプールに遷都するまで、このお城が歴代のマハラジャの居城となります。 

さて、前置きが長くなりましたが。。。

このアンベール城、最初の写真を見てわかるように、小高い丘の上に建っています。 で、お城までどうやって登っていくかというと。。。
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象の背中に乗っていくんです。。。

もちろん、歩いても登れると思うし、ジープに乗って登るオプションもあるみたいですが、「象に乗る」っていうのが、この日お願いしたガイドさんの組んだ日程に入ってたもんで、私たちも仕方なく象に乗って登りました。(結構揺れて怖かった。。。)

ようやくアンベール城に辿り着くと、いや~、ここからの景色の素晴らしいこと!
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周りを幾つもの山に囲まれてるんですね。
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で、この写真ではわかりにくいかもしれないんですけど、周りの山々の尾根には、万里の長城みたいな城塞がず~っと続いてるんですよ!!


そして、建物もとっても美しい!
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ムガル帝国と血縁関係を結んだアンベール王国だけあって、イスラム様式もかなり取り込まれていますね。

でも、やっぱりヒンドゥーなので、こんな象の神(ガネーシャ)が描いてあったりします。
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アンベール城の前にある貯水池に浮かぶイスラム様式の幾何学模様の庭園
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宮殿内の中庭
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鏡細工が美しい勝利の間
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ガネーシャ門の上にある覗き窓からの景色。 宮廷の女性はここから宮殿の前の広場で行われる催し物などを覗いて鑑賞したんだそう。
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アンベール城の更に上のほうには、もうひとつジャイガール城という城塞も見えます。
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アンベール城の周辺には、しっぽの長~い、ちょっと変わったお猿さんがいっぱいいました。
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この写真は、お猿さんはあんまり綺麗に撮れてないんだけど、背景に万里の長城みたいな砦がしっかり写っているので載せてみました。


アンベール城と周りを取り囲む山々、そして万里の長城のような砦。 景色も美しいし、なんだかとってもロマンを感じる場所でした☆


さてさて、アンベール城の観光を終えて、ジャイプールに戻る途中、ジャル・マハル(水の宮殿)というところに立ち寄りました。
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王家の夏の別荘として18世紀に建てられたものなんだそう。

とても綺麗に見えるのですが、実は、水が停滞しているために、水質悪化で蚊が発生したりと衛生的に問題があって、今は使われていないんだそう。 

ここで写真を撮っていたら、小さな子供が寄ってきて、ガイドさん経由で「手品を見せたいんだけど」とアプローチしてきたので、見せてもらうことにしました。
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ガイドさん曰く、スラムの子供らしいです。 でも、物乞いをするのではなく、手品を見せてお金を貰おうという姿勢が偉いですね。 それに、とっても礼儀正しいんですよ。 

手品のほうもとっても上手で、可愛かったです☆ 今でもこの男の子の声が耳から離れません。
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アーグラを訪れた後は、アーグラから西へ250キロほどのところにある、ラジャスタン州のジャイプールという町にやってきました。

ラジャスタン州は、インドの北西部にあって、パキスタンとの国境にも面しています。 ラジャスタン州の西部には広大な砂漠地帯が広がっていて、とってもエキゾチックなところらしいのですが、残念ながらラジャスタン州西部まで足を延ばすには、やっぱりもうちょっと日数がないと難しいですね。。。
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今回私が訪れたジャイプールという町は、ラジャスタン州の東部で、アーグラからもデリーからも250キロほどしか離れていないので、それほど雰囲気は違わないんじゃないかなと思ってたのですが、いやいや、ジャイプールに近づくにつれて、今までとは景観がかなり変わってくるんですね。

それまでずっと平野が続いていたのが、だんだん乾燥した岩肌の山が見えてきて、生えてる植物の種類も変わってくるし、物資を運搬するのにラクダが使われているのをよく見かけるようになってくるし。 そして面白いな~と思ったのが、ラジャスタン州では、道を走ってるトラックやトラクターが派手!! カラフルなペイントが施してあったり、造花みたいなお花とかタッセルみたいな房飾りがぶら下がっていたり。 なんだか、日本のトラック野郎を思い出しましたよ。


ジャイプールは、この地のマハラジャのジャイ・シン2世によって1727年に建設された町。 建設当時のジャイプールの町は、現在オールドタウンと呼ばれる城壁に囲まれたエリアです。

1876年にイギリスのアルバート皇太子(後のエドワード7世)がこの地を訪問した際に、歓迎のために町中の建物をピンク色に塗ったため、ジャイプールのオールドタウンは、どこもかしこもピンク色。

今でも、オールドタウンの建物は、ピンク色に塗ることを義務付けられているんだそうです。

こちらは、オールドタウンの中にある、シティパレス。
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インドがイギリスの植民地となった時代も、ジャイプールのような藩王国は、一定の自治権が認められていたんだそう。

もちろん、インドがイギリスから独立した時に藩王国というものはなくなったわけですが、このシティパレスの一角には今でも王族の家族(マハラジャの子孫)が住んでいるんだそうです。

こちらは、ハワー・マハルという宮殿。
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小窓がたくさんあって、風通しが良い造りになっているので、別名「風の宮殿」とも呼ばれる美しい建物です。

そして、もう一つ感心したのが、ジャイ・シン2世が18世紀前半に建設したジャンタル・マンタルという天文台。(写真はwikipediaより)
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ジャイプールの町を建設したジャイ・シン2世は、天文学に精通していたそうで、この広い公園のような敷地内には、巨大な日時計やら、月や星の動きを観測する天文観測器がたくさん並んでいました。


さて、これらの名所を見て回った後は、ジャイプールのオールドタウンをちょっとブラブラ散策してみました☆
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カラフルなターバン帽が山積み
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縁起物のお飾りを売ってるお店
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乾物を売るお店
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スイーツ? だよね?
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スパイス屋には、何故だかいつもオヤジがたむろしてる。。。
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様々な形状の砂糖を売るお店
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道端で野菜を売るおばさん
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フラワーマーケット
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ラクダも普通に歩いてる。
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あー面白かった☆
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タージマハルやアーグラ城塞などのムガル帝国時代の美しい建造物を紹介して、アーグラは「古都」なんて言うと、京都のような落ち着いた古都を想像しちゃいますが、そこはやっぱりインド。 アーグラの町もカオスで溢れています。
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写真だと、実際より落ち着いて見えちゃうのが残念。

You Tube で、アーグラの動画を見つけたので、貼り付けてみました。




車、トラック、トラクター、自転車、荷台にあふれるほど人が乗ってる軽トラ、詰め込めるだけ詰め込んだオートリクシャ、野菜を売る荷台を押す人、頭の上に大きな荷物をのせた人、そして、牛、ロバ、などなど。。。

交差点では信号もラウンドアバウトもルールなく、ありとあらゆる乗り物・人間・動物が、好き勝手な方向に向かって進む無法地帯。


そして。。。 ゴミの山に群がる豚たち。
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インドでは、一般的には、牛肉も豚肉も食べません。

牛は神聖な動物、豚は不浄な動物、と考えられているから食べないのですが、インドの町中では牛や豚をよく見かけます。(道端で普通にうろうろしてます。)

あまりにたくさん見かけるので、ひょっとして、野良牛、野良豚なの?と思ったのですが、どうやら持ち主はいるみたい。

牛は、牛乳を採ったり、荷物運びや畑仕事に使ったり、糞を乾燥させたものを燃料として使ったり、と、肉を食べなくても牛を飼う理由がなんとなく想像できたのですが。。。

インドでは、円盤状にした牛の糞を乾燥させたものを燃料として使うのが今でも一般的。 
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あちこちにこんな牛糞燃料が積み上げられているのを見かけます。(写真はwikipediaより)

一方、豚は、肉を食べないんだったら、何のために飼ってるの???と、かなり疑問だったのですが、どうやら、豚肉っていうのは、カースト制度で最も下の層に属する人たち(主にスイーパーと呼ばれる掃除が職業の人たち)だけは食べることができるので、この豚さんたちはそういう人たちが所有してるんだそうです。。。

インドを旅すると、ありとあらゆるところにゴミがたくさん捨てられたままになっているのを目にします。

自分の家や店の前ぐらい掃除すればいいのに。。。と思うのですが、掃き掃除やゴミ集めはカーストの最下層に属する人たちの仕事だから、それ以外の人は、たとえそれが自分の家や店の前であっても、掃き掃除やゴミを集めて捨てるという作業はしないんだって。。。

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店先で談笑するおじさんたち。 そんな暇あるんだったら、自分の店の前ぐらい掃除しろよって思うんだけど。。。

ネットでカースト制のことを調べてたら、料理をしていて材料などを間違って床に落としたりしても、料理をしている人が拾って捨てるということはなく、スイーパーが掃除をする、なんてことも書いてあるのを読みました。 果たして、インドの一般的な家庭でもそんなことがあるのかどうかは判らないけど。。。

分業という観念もあるのかもしれないけど、それよりも、「掃除は不浄な仕事」という観念があるらしいです。

オーストラリアなんかだと、人の嫌がる仕事をして成功した移民の人たちがいたりします。 例えば、我が家の隣のホリデーハウスの持ち主は、ギリシャからの移民で、清掃を請け負うビジネスを始めて成功した人です。

インドでも、富裕層やカーストに馴染みのない駐在員家族向けに、「家事一般全て掃除も嫌がらずに請け負いまっせ」みたいな質の高いサービスを提供するようなビジネスを始めたら結構うけるんではないかと思ったりもしたんですが、カーストの観念が根強く残るインドでは、なかなか難しいんでしょうね。

インドは貧富の差が激しいことで有名ですが、裕福な人たちと貧しい人たちの差があることよりも、貧しい家庭(低いカースト層)に生まれた人たちが、いくら才能があっても、いくら努力をしても、自分の属するカースト以外の仕事につく事ができないことのほうが問題のような気がしてなりません。

中国とインドを比較して「中国は共産主義だけどインドは民主主義だから …」という言葉を良く耳にするけど、カースト制度が未だに蔓延っているインドは、共産主義の中国よりも「職業選択の自由」という点では遥かに劣っているんじゃないの?なんて思ったりもします。

インド独特のカオスも、カースト制によって各作業がこと細かに分業されてしまっていることによる非効率、1つの仕事をトータルでコーディネートする人の不在から来ているような気がしてなりません。


さて、アーグラから次の目的地であるジャイプールに向かう道は、比較的田舎道で、いくつもの農村や小さな町を通り過ぎていきます。
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途中、この辺りは、粘土の産地なのか、レンガの製造が行われている地域が延々と道沿いに続いていたので、車の窓から興味深く見ていたら、ドライバーのスニルさんが、車を停めて、レンガ造りをしている現場を見せに連れて行ってくれました。
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粘土(クレイ)を、型に詰めて、一つ一つ手作りのレンガです。 遠くに見える煙突が、レンガを焼くキルンの煙突です。


こんなに小さな子供もレンガ作りのお手伝い。。。 
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右側に立っているオレンジ色のシャツを着ているのが、今回7日間ずっと車を運転してくれたドライバーのスニルさん。

自分は兄弟がたくさんいてまともな教育を受けることができなかったけど、自分の子供にはちゃんと教育を受けさせたいから、子供は1人しか持たないと決めてたんだけど、奥さんが2人欲しいっていうから2人いるんだ、なんて話してたスニルさん。 タクシーのドライバーから始めて、独学で英語を勉強して、今は旅行会社で働いているという、真面目で、それでいてユーモアのセンスもあって、とってもいいドライバーさんでした。
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昨日のブログでムガル帝国 第3代皇帝 アクバルについて語りましたが、そのアクバルが葬られているアクバル廟は、アーグラ近郊のシカンドラというところにあります。

アクバル廟に到着すると、まず、この美しい南門が見えてきます。
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赤いサンドストーンをベースに、白い大理石や色のついた石を使った象嵌細工が一面に施されています。
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この象嵌細工のモチーフが美しいのなんのって!!!
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タージマハルほど繊細ではないかもしれないけど、この色合いとかデザインとか、好きだわ~。

そして、この門をくぐると、遠方に、アクバル廟が見えてきます。
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傘のようなチャトリは幾つも載っかってますが、真ん中にドーンとしたドーム状の屋根がないところがアクバル風???

アクバル廟は、アクバルの生存中にアクバル本人が建設を開始、1605年にアクバルが亡くなった後、息子の第4代皇帝ジャハーンギールが8年間かけて完成させた、ということなので、果たしてどこまでアクバルの意向が反映されているのかは判りませんが。。。

アクバル廟の中に入ると、こんな美しいホールになってます。
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外から見るとドーム屋根はありませんが、内部の天井はドーム状。 
装飾もイスラム様式ですね。
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何だか内部装飾の色合いとか雰囲気が、イタリアのラヴェンナで観たガッラ・プラチディアの廟にそっくり!  あちらはキリスト教の霊廟ですが。。。

この奥は、アクバルの石棺がある墓室になっているのですが、墓室のほうは、このゴージャスなエントランスホールとは対照的に、何の飾りもない、真っ暗な部屋でした。


このアクバル廟、敷地内には緑も多くて、観光客も少なくて、のどかな雰囲気。

こんなクルクルの角を持った鹿もたくさんいました☆
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アクバル廟のあるシカンドラは、アーグラの町から8キロほど離れたところにあります。 タージマハルほど有名ではないけど、タージマハルとはまた違った魅力のある美しい霊廟でしたよ。
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前にもちょっと触れましたが。。。

今回、デリーとアーグラを訪れて気がついたのが、北インドにおいてはイスラム王朝による統治がものすごく長かったという事実。

北インドでは10世紀の終盤からイスラム系の王朝の侵入がたびたび起こるようになり、インドにおける初めてのイスラム王朝がデリーに設立されたのが1206年。

その後、数々のイスラム王朝が続き、インドにおける最後のイスラム王朝となったムガル帝国が滅亡したのが1858年。

要するに、北インドにおいては約650年もの間イスラム系の王朝が続いたというわけです。


インド = ヒンドゥー教の国 という図式が頭に染み付いていた私。 

デリーとアーグラでは観光名所の殆どがイスラム教のものであることに何故?と初めは疑問を持ったのですが、デリーとアーグラというのは、13世紀初頭から19世紀中頃まで続いた数々のイスラム王朝の首都となっていた町なので、歴史的建造物がイスラム教のものであることは当然といえば当然ですよね。

でもね、ここでまた疑問に思ったのが、こんなに長い間イスラム王朝が続いた北インドにおいても、現在の人口の約8割はヒンドゥー教徒であるという事実。

もちろん、ムガル帝国滅亡後、イギリスの植民地となったインド帝国が、インドとパキスタンに分離して独立した時点で、イスラム教徒→パキスタンへ、ヒンドゥー教徒→インドへ、という人口の移動があったとは思いますが、それにしても長年続いたイスラム王朝の支配下で、ヒンドゥー教徒がイスラムに改宗することなくヒンドゥー教徒のままでいることができたのは、たぶんこの人のおかげじゃないかな?と思うのです。

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      ムガル帝国 第3代皇帝 アクバル

ムガル帝国の首都をデリーからアーグラに移し、アーグラ城塞を築いた皇帝です。

ムガル帝国は、アクバルの時代以降領土を大きく拡大し、多くの非イスラム教徒を抱えることになります。
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(地図はwikipediaより)

そんな中、アクバルは、それまで異教徒に課せられていた税金を廃止したり、ヒンドゥー教徒を要職に登用したり、イスラム様式とヒンドゥー様式の双方を取り入れた建物を建てたりと、他宗教に対して非常に寛容な方針をとります。

先日のブログで紹介したアーグラ城塞のジャハーンギール殿も、非常にアクバルらしいヒンドゥー様式とイスラム様式が取り入れられた建築物でしたが、それよりも更にアクバルらしさを感じたのが、こちら。
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アーグラ郊外にあるファテープル・シークリーです。

アクバルは、アーグラ城塞を築いた後に、 アーグラ郊外に、このファテープル・シークリーという新しい都を建設し、1574年からの約10年間に渡って、この都に居住しました。
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このファテープル・シークリーの宮廷地区には、イスラム様式の典型であるドーム型の屋根やアーチなどは殆ど見られません。
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インドの伝統的なヒンドゥー様式を取り入れたものらしいのですが、ヒンドゥー建築に馴染みのない私にとっては、傘のようなチャトリさえなければ、まるで木造の仏教建築のように見えます。

木のように見えますが、柱も庇も梁も、全て赤いサンドストーンで出来ています。

こちらは、ディーワーネ・ハースと呼ばれる内謁殿。
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建物の内部中央には、美しい彫刻を施した巨大な柱があり、その上には十字のブリッジが架かっています。 
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このブリッジの交差部分にアクバルが腰掛け、階下で様々な議論が行われるのを見ていたんだそうです。


アクバルは、イスラム教とヒンドゥー教だけではなく、仏教やキリスト教など様々な神学にも興味を持ち、宗教の融合を理想としていました。

実際、アクバルには、ヒンドゥー教徒の夫人、ゴア出身のキリスト教徒の夫人、イスラム教徒の夫人、がいたそうで(アクバルはムスリムですから一夫多妻制です)、ファテープル・シークリーの中にも、それぞれの夫人用に、様々な建築様式を取り入れた建物があって、面白かったです。


アクバルは、このファテープル・シークリーをわずか10年程で放棄して、ラホール(現パキスタン)に移ってしまいます。 ラホールに移った理由はよくわかっていないそうですが、水不足が原因だったのではないかと言われているようです。 そして、最終的には、またアーグラのアーグラ城へと戻ることになります。

アーグラ城のほうは、第5代皇帝のシャー・ジャハーンが白い大理石を使って改築を加えたため、シャー・ジャハーン色がかなり加わっていますが、こちらのファテープル・シークリーは、アクバルの色がそのまま残っていて、まるで時が止まったような雰囲気がするところが魅力です。


インドのイスラム王朝において、他宗教を受け入れる寛容な宗教政策とイスラム・ヒンドゥー文化の融合を実現したアクバル。 この方針は、孫の第5代皇帝シャー・ジャハーンまで続きました。 

ところが、シャー・ジャハーンの後を継いだ第6代皇帝は、曽祖父のアクバルの時代からの方針とは打って変わって、保守的な宗教政策をとるようになり、イスラム教以外の宗教の弾圧を行うようになりました。 その結果、異教徒の激しい反乱が各地で頻発するようになり、ムガル帝国は次第に衰退していったわけです。

ムガル帝国が栄えたのは、寛容な宗教政策を築いたアクバルのおかげと言っても過言ではないかもしれませんね。
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インドの観光名所というと必ず名前が挙がるタージ・マハル。

タージ・マハルは、ムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが、若くして亡くなった最愛の王妃ムムターズ・マハルのために建てた霊廟です。


白い大理石造りで有名なタージ・マハルですが、入場してまず最初に見えてくるのが、赤いサンドストーンでできた大きな門。
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赤いサンドストーンと白い大理石の象嵌細工の部分のコントラストがとても美しいです。

この門をくぐりぬけると。。。

おっ、見えてきました!
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うわーっ、タージ・マハルだあ。
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タージ・マハルを実際に見る前に、私がタージ・マハルに抱いていたイメージは「巨大」とか「壮大」というもの。 

確かに、ものすごく大きくて壮大ではあるのですが、実際に目の前にしてまず頭に浮かんだ言葉は「エレガント」という言葉でした。

大理石に象嵌細工が施された部分が、遠くから見ると、まるで繊細なレースのように見えるんですよね。

そして、タージ・マハルの前に広がる庭園は、緑の芝生と糸杉と噴水が美しく整備されていて、まるでヨーロッパの庭園みたいです。
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(こちらは、タージ・マハルから、庭園を一望したところ)

建物の象嵌細工が施された部分を近くで見ると、その精巧さに驚かされます。
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お花の部分だけじゃなくて、黒のカリグラフィの部分も、貴石を嵌め込んだ象嵌細工ですよ。

なんでも、シャー・ジャハーンは、タージ・マハルが完成したときに、同じような物を真似して作られないようにと、これらの象嵌細工を施した職人の腕を切ってしまったそうです。。。 


タージ・マハルの内部には、もちろん、王妃ムムターズ・マハルの墓と、そしてその隣にはシャー・ジャハーンの墓も置かれています。
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(内部は写真撮影禁止なので、こちらはwikipediaからの写真です)

この2つのお墓の周りを取り囲んでいる Jali と呼ばれる大理石でできたスクリーンが、これまた美しい!
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(こちらもwikipediaからの写真です)


このタージ・マハルの裏側には、ヤムナー川が広がっているのですが、
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実は、シャー・ジャハーンは、この川の向こう岸に、タージ・マハルと同じ形のものを黒い大理石で建てて、自分自身の霊廟にすることを考えていたのではないかと言われています。

もちろん、昨日のブログにも書いたとおり、シャー・ジャハーンは、浪費が原因で、息子である第6代皇帝アウラングゼーブに幽閉されてしまったので、結局はこの白いタージ・マハルで王妃の隣に眠ることとなったわけですが。。。

実現していたら、それはそれは見事なものだったでしょうねえ。


さて、昨日のブログに載せたアーグラ城塞のムサンマン・ブルジュと、このタージ・マハルの美しい象嵌細工にすっかり魅了された私。 

アーグラの町には、象嵌細工の工房がたくさんあるので、お土産にコースターみたいな小さなものを買ってもいいかな、なんて思って覗いてみたのですが、残念ながら気に入ったものには出会えず。。。 

ムサンマン・ブルジュの象嵌細工のような、上品な色合いのものが欲しかったのに、売ってるのはみんなキラキラしすぎてるんですよね。。。 
う~ん、残念でした。。。
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デリーに2泊した後、向かったのは、アーグラ (Agra)。

デリーからアーグラまでは昨年開通したばかりの Yamuna Expresswayという高速道路で200キロちょっと。 新しいだけあって、インドとは思えないような(失礼!)とてもきちんと整備された道路なのですが、結局はデリーの町を出るまでの交通渋滞と、アーグラの町に入ってからの交通渋滞で、4時間ぐらいかかったような気がします。


さて、お恥ずかしい話なのですが、私、アーグラっていうのは、タージマハルがあるだけの小さな田舎町だと思い込んでまして。。。 

ところがどっこい、アーグラは、ムガル帝国の最盛期に首都だったところなので、ムガル帝国時代の見所が満載の古都だったわけです。


今回のインド旅行では、訪れた各都市で半日ぐらいずつガイドさんをお願いして案内をしていただいたのですが、アーグラで私たちについてくれたのは、とても知識豊かで熱心なガイドさんでした。 このガイドさん、西城秀樹と織田裕二を足して2で割ったような好青年なのですが、説明をさらっと聞き流したりしてると、たまに「シャージャハーンっていうのは誰だっけ?」とか「ここを建造したのは誰だっけ?」とか、まるで学校の先生のようにチェックが入ります(笑)。おかげで、ムガル帝国の歴史に一気に詳しくなっちゃいましたよ。


ムガル朝が「帝国」と呼ばれるほど大きく発展したのは、第3代皇帝アクバルの時代です。 

アクバルは、1558年に首都をアーグラに移し、1565年から8年間に渡り、もともとあったローディ朝の旧城塞に大規模な改修を加え、アーグラ城塞を築きました。そして、このアーグラ城塞は、その後3代に渡って、ムガル帝国の皇帝の居城となります。
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アマル・シン門から城壁の中に入ると
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その内側には、また高い城壁が。。。
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最初の城壁の外のお堀にはワニが放たれ、外側の城壁と内側の城壁の間の陸地にはトラが放たれていたんだそう。 で、それでもさらに侵入してくる者にはこの高い城壁の上から熱い油が放たれ、さらにここから続く緩やかな坂道になった通路では、巨大な岩が転がってくるという仕掛けになっていたそうです。


そして、この重厚な2重の城壁の内側には、公謁殿やモスク、皇帝の寝殿などの建物や、庭園などが広がっています。

こちらは、アクバルが息子ジャハーンギールのために建てたジャハーンギール殿。 (ジャハーンギールは、アクバルの跡を継ぎ、第4代皇帝となった人です)
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こちらは、このジャハーンギール殿の中庭なんですが、柱や梁の感じが、ヒンドゥー建築みたいだと思いませんか?
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木彫りのように見えますが、全て赤いサンドストーンで出来ています。
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ムガル帝国は、アクバルの時代に領土を拡大して、多くの非イスラム教徒を抱えるようになったのですが、アクバルは、政治的にも文化的にも他の宗教に寛容で、宗教の融合を理想としていたということで、建物にもその傾向がよく表れています。 この、他宗教に対して寛容な方針は、アクバルの孫のシャー・ジャハーンの代まで続くことになります。


赤い城 (Red Fort)という別名があるくらい、赤いサンドストーンが見事なアーグラ城塞ですが、突然、こんな真っ白な大理石の建物が現れます。
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第5代皇帝のシャー・ジャハーンが改築した部分です。
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シャー・ジャハーンは、あのタージマハルを建てた人。 
白い大理石がホントに好きなのね。

こちらは、ムサンマン・ブルジュという名前の塔で、こちらもシャー・ジャハーンによって建てられたものです。
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白い大理石に貴石が嵌め込まれた象嵌細工があちこちに散りばめられています。
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デザインといい、色合いといい、なんて上品で美しいんでしょう!! 


この第5代皇帝のシャー・ジャハーンは、こんな風に、大理石を使ってアーグラ城塞を改築したり、タージマハルを建てたり、後にデリーに遷都してそこにもアーグラ城塞とそっくりな城塞を建てたり、と、その浪費が原因で、1659年に自分の息子であるアウラングゼーブ (第6代皇帝) に、アーグラ城塞のこの美しいムサンマン・ブルジュの部屋に幽閉されてしまうんですよ。 シャー・ジャハーンは、遠方に見えるタージマハルを眺めながら、1666年に亡くなるまでこの部屋で過ごすことになります。

ちなみに、敬虔なスンニ派のイスラム教徒であった第6代皇帝のアウラングゼーブは、曽祖父のアクバルの時代から方針とは打って変わって、保守的な宗教政策をとるようになり、ヒンドゥー寺院を破壊するなど、イスラム教以外の宗教の弾圧を行うようになりました。 その結果、異教徒の激しい反乱が各地で頻発するようになり、ムガル帝国は次第に衰退していきます。


ということで、アーグラには、主に、アクバル、ジャハーンギール、シャー・ジャハーンの3代に渡るムガル帝国最盛期の見所がたくさん残っているわけです。

アーグラ城塞は、そのムガル帝国最盛期の集大成を見ているようで、とても見ごたえのあるところでした。


長くなりましたので、続きはまた明日。
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さーて、そろそろインド旅行記を開始しましょうかね。

念願の初インド。 

実は、8年ぐらい前だったかな、インドへの旅行の計画を立てたのに、出発前日に一大事件が起こりまして、やむなくキャンセルをしたという苦い思い出がありまして。。。

今回ようやくインド行きが実現したわけですが、なんせ大きな国なので、インドのどこに行くべきか、かなり迷いました。

夫は、以前日本に住んでいた頃に、仕事で何度かインドを訪れたことはあるのですが、観光は皆無だったのでどこでもいいよ、とのこと。 でも「タージマハルにはやっぱり行ってみたい」って昔言ってたような気がするし、私はラジャスタン州のジャイプールに行ってみたいな~と思っていたので、今回はデリーから入ってインド北部を観光することにしました。

で、色々と調べてみると、インド北部には魅力的な所がたくさんありまして。。。 特に、ジャイサルメールというパキスタンとの国境にも近いラジャスタン州西部の砂漠の町なんかには、非常に興味をそそられたのですが、旅行の前後に色々と予定が入ってたりなんかして、日数に限りがあったので、結局はインド初心者らしく Delhi → Agra → Jaipur というコースに落ち着きました。

さて、そんなこんなで始まったインド旅行ですが、デリーでは、しっかり雨に降られまして。。。 残念ながら丸一日雨の中の観光となりました。

まず最初に向かったのは、ジャーマー・マスジッド(Jama Masjid)というモスク。 タージマハルを建造したムガル帝国の皇帝シャー・ジャハーンによって建てられたモスクです。
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ここでは、門を入るところで、靴を脱がなくてはなりません。 スリッパを売ってたので買ったのですが、門を入ってから建物まで歩いていく間に、もうスリッパを履いてても靴下までびちょびちょです(笑)。

25000人もの人が礼拝できるという巨大なモスクですが、私たちが訪れた時は殆ど人もいなくてひっそりとしていました。 ちなみに、礼拝が行われる時間は観光客は入ることができません。

このモスクは、雨でびちょびちょになった以外、特に感激といったわけでもなかったのですが、このジャーマー・マスジッドのある周辺(オールドデリー)は、これぞインド!といった感じのスゴイところ。。。

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写真は Wikipedia より

雨がかなり降っていたので車の中から眺めるだけになってしまったのですが、鶏が生きたままケージに入って売られていたり、天井から肉がぶら下がってる肉屋さんや、車の部品を売るお店がずらっと並んでいたり。。。

道のあちこちにはゴミがいっぱい捨てられてたりして、かなり汚いけど、この混沌とした中をちょっと歩いてみたかった。。。 かなり残念。



次に訪れたのは、ラージガート(Raj Ghat)という、ガンジーが火葬された場所。
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オールドデリーの城壁のすぐ外側にあるここは、オールドデリーとは打って変わって、綺麗に整備された記念公園になっています。

雨だからか、誰もいなくて静か(笑)。。。



そして、この後、ニューデリーにある、フマーユーン廟(Humayun's Tomb)へ。
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16世紀中旬に、ムガル帝国のフマーユーン皇帝のために建てられた墓廟です。
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赤いサンドストーンと白い大理石のコントラストがとても美しく、きちんと幾何学的に整備された庭園も美しい。 ペルシャ様式を取り入れたこの建物と庭園は、後にタージマハルにも影響を与えたんだそうです。

中央の建物にはもちろんフマーユーン皇帝が葬られているわけですが、その周りにもずらりと墓室が並んでいて、王妃や王子だけでなく、宮廷に仕えた人たちも葬られているんだそうです。
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この墓室には誰が葬られてるなどと言って案内したがる似非ガイドが出没したりすることもあるようですが、実際にはどの墓室に誰が葬られているかは判っていないらしいです。



そして、この日、最後に訪れたのが、デリー南部にあるクトゥブ・ミナール(Qutub Minar)
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ここには、12世紀後期にトルコ系ムスリムの将軍アイバクがインド北部を征服した時に建てたインド最古のイスラム教の遺跡群が残っています。

ミナール(ミナレット)というのは、イスラム教のモスクにある、礼拝時刻の告知(アザーン)が行われる塔のことです。
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高さ72.5メートルの美しい塔の横には、インド最古のモスクの遺跡が残っているわけですが、このモスクは、将軍アイバクがインド北部の多数のヒンドゥ寺院を破壊し、その石材を利用して建てたものなんだそうです。 そして、建築に携わった職人もヒンドゥ教徒であったため、このモスクにはイスラム様式とヒンドゥ様式が混在しているんだそう。
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偶像崇拝禁止のイスラム教にとっては、生き物の像や彫刻はご法度。 破壊したヒンドゥ寺院の石材から生き物の彫刻の部分は削り取ったりして使ったんだそうですが、所々、こんな彫刻が残ってたりします。
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こちらは、イスラム様式のアーチですが
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それまでイスラム様式になじみがなかったヒンドゥ教徒の職人にとって、イスラム様式のアーチ型やドーム天井を造るのは、かなり大変だったらしいです。

このアーチには、美しいアラビア文字の彫刻が施されています。
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このクトゥブ・ミナールは、デリーの中心部からは少し離れているのですが、本当に美しい遺跡で、デリーで一番感激した場所でした。 イスラム教のモスクなんですが、ヒンドゥ様式が混ざっているからか、なんだかアンコールワットを思い出しましたよ。

また改めてブログに書きたいなとは思っているのですが、この後インド旅行中に数多くのイスラム教の歴史的建造物を見学して、ヒンドゥー教徒が多数を占めるインドという国がどれだけ長くイスラム教の統治下にあったかということに改めて気づきました。 そういった意味で、クトゥブ・ミナールは、インドにおける最古のイスラム教の建造物ということでも感慨深いものがありましたね。
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デリーで食事をした後に、お口直しに出てきたのがこちら。

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フェンネルシードと氷砂糖と、そして真ん中のが、ビートルナッツ(Betel Nut)。

調べてみると、ビートルナッツというのは、ビンロウ(檳榔)というヤシ科の植物の実で、どこかの国では、これを噛んで口の中が真っ赤になってる、あれなんだそうです。

ちなみに、口の中が真っ赤になるのは、一緒に噛む葉っぱだか石灰だかと化学反応を起こすからだそうで、この口直しで出てきた乾燥ビートルナッツをそのまま食べても口の中が赤くなるわけではありません。

まあ、そんなことは全然知らずに、ちょっとかじってみたわけですが。。。

もんのすごく、強烈に、アロマティック。

どうやら、ビートルナッツをスライスして乾燥したものに香りをつけているようなので、たぶんこの強烈な香りは、ビートルナッツの香りではなくて、ケウダ(kewda)というものの香りだと思うんですけどね。。。

なんだか御香か石鹸をかじってるみたい。

フェンネルとかカルダモンとか、アロマティックなスパイスやハーブは結構好きなんですが、これは苦手です。


インドの旅、楽しんでます。 

インドは明日で終わりなんですが、毎日インド料理ばっかり食べてるので、体がカレー臭くなってるかも。。。
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